My Tokyo & Football Life
ふりだし
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おーたく 出生。が、どうしてだか当人まるで記憶にない。レプリカント?

前々々半生
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みなとく おぼっちゃまとしてお過ごしになられました。(妄想)

前々半生
 ▽   
あだちく ビートたけしの実家に近いとこで、
ほとんど「たけしくん、ハイ」そのままのハイな(笑)毎日。

学校でサッカー部に入る。
この時すでに“30年に1人の天才”と騒がれていた…わけはなく、
ぐるっと輪になってひたすら球を蹴りっこするだけの素朴な放課後。

前半生
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しながわ 海(埠頭)の近くで、現在も実家はそこにある。
今でこそウォーター何たらとかしゃらくさい名前で呼ばれてるが、
当時ははっきり言ってスラム。
(同級生の間では今も「東京のブロンクス」というのが共通認識)

赤ら顔の酒好き体育教師が監督のサッカー部に入る。
彼は部員たちが補導されまくってもニコニコ頭ごなしには怒らず。
同僚には露骨に軽視されてたけど、温かい…いい先生だった。

“ダイヤモンド・サッカー”を観始める。
当時のヒーローは、
自分も背が70cmと低かったので(どんな身長だ?)、
ボルシアMGの牛若丸、アラン・シモンセン@デンマーク代表
それと背の高さは全然関係ないけど同じチームの
ライナー・ボンホフ@西ドイツ代表。
(誰が言い出したのか西独代表のマネをしていた
部活白黒ユニフォームの背番号も16番を選んだ)
あとは、誰もが憧れのヨハン・クライフ。
(オレンジ軍団では、彼なき後のW杯時、
ロング・シュート一発で次々相手を沈めたハーンも好きだった)

中半生
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しんじゅく つぎのがっこーがあったとこで、
ご休憩ホテル街のど真ん中というステキな環境。(笑)
でも学校には出席日数ギリギリしか行かなかった。
(じゃあどこにいたんだ?)

ボール蹴りはやめてしまってたけど、出場選手・
ユニフォームの色・得点時の球の流れなどノートにつけながら
“ダイヤモンド・サッカー”だけは飽きずに観ていた。
英国協会偏重の放映期にお気に入りだったのが、
やさ男レイ・クレメンス守護神のリヴァプール。
ノートは誰かに貸してそれっきりに。
これ読んでたら返してください。

このころ初めてのスタジアム観戦(日韓戦)に行く。
釜本が点取ったけど、あとはボカスカやられたような…。
(↑ 負けた試合はすぐに忘れる便利な性格)
一方、TV観戦3度目のW杯でブラジルにイカれる。
黄金のカルテットはもちろん、
エデル@ロマーリオお師匠さんの左足には心底シビれた。

(追記:2002年、たまたま机の整理をしていたら古いチケットの半券が山ほど出てきて、
初スタジアム観戦は'78年アルゼンチンW杯の予選だったことが判明。(カードは日本−韓国)
今さらながらマイ記憶力の“やっぱり”ないいかげんさを思い知る…恥。
なお、それら半券の中には音楽モノ…デヴィッド・ボウイやクイーン、エアロスミスなど、
それぞれ初来日(苦笑)の半券なんてのもあるので見たい人はご連絡を。(笑))

中々半生
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みたかし そんつぎのがっこーがあったとこ。
この地を選んだのは、後のFMC発足を
予感してたからに違いない。(←ノストラダムス級)
でもここでも学校へはほとんど行かず。
今思えば学校、キライだったのかも。(笑)

一時期、豪州や欧州をひとりでうろつく。
欧州では延々居座ってやった宿賃格安の、とある学生寮にて、
イタリア v.s.ドイツ&日本&トルコという
旧枢軸国間最強位決定戦(←ウソ)の国際Aマッチに出場。
外野のおんな声国粋コールはうるせーわ、
親善性皆無のあくどい反則ばかりかまされるわでボロ負けし、
以来イタリアが嫌いになる。
ゲーム後、チーム・メイトのドイツ人とは
「次はイタリア抜きでやろう」とどこかで聞いたようなことを約束。
もちろん翌日はキンニクツーで全身不随状態に陥った。

中々々半生
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おーたく けっこんしてふりだしに戻る。
同時に会社も辞めちゃって、生活までふりだしに。おいおい。

後半生
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せたがや 天皇杯での東京ガス大活躍に心ズキズキワクワク。
以降、街で営業車を見かけるだけでも体が熱くなる。
これってもしかして…恋?
その後J2入りしてから、F.C.東京と名前を変えたチームをナマ観戦。
Jリーグ発足6年目にして初めてサポーターという不良になる。
「昔は虫も殺さない子だったのに…」と親にカンドーされてしまった。
ちなみに好きになった選手は順にアマラオ、奥原、タロウ、浅利。
ア行の選手が好きみたいだ。(笑) レプリカは7番。

ついでに東京以外に好きなチームは、
プラーヴィ、メヒコ、スーパー・イーグルスにイラン代表。
(ブラジルは別枠)

フットサル始める。といってもまだ片手ほどしか行ったことないけど。
本人、気分はルイス・エルナンデス×ピクシーのつもり。
他人の目には年寄りの冷や水。って失礼じゃないですか。

後々半生
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ふかがわ たまたま猿の試合を見ていた東京フロントよりオファー。
さすがに大人の分別で1度はお断りするも、
「東京のロジェ・ミラに」と熱心に誘われ、(←意味不明)
で、その口説き文句はどーでもいいんだけど、
目の前に札束を2つほど積まれたため即決。
その決断のいさぎよさは後に語り草になる。

熊の跡目を継いだ“飛び出せ青春飛田給”小峯監督のもと、
アマラオ・スタジアムでデビュー。いきなり2ゴールを決める。
相手はユーヴェなんとかというカタカナ名前の外国チーム。

後々々半生

  
かみきた なぜか緑の救急車で有名な病院へと搬送されそうになるが抵抗。
「だからみどりだけはやめてくれって」